民間企業から地方公務員に転身した人のブログ

民間企業から地方公務員(県庁)に転身した男が、日々遭遇する違和感に苛まれ、また気付きを得ながら悪戦苦闘している様をご紹介します。記事内容は、#仕事術 #転職 #就職 #キャリア #公務員の仕事 などを中心に紹介しています。

目線は高く!

「2つ上のポジションのつもりで仕事をしろ」


これは以前に副知事から新採用メンバーにもらった言葉です。

生意気ながら2つ上のポジションの先輩の仕事を見ながらあーだこーだ思いながら学ばせてもらっています。

 

来年はよりそのポジションの仕事の量・質を意識して仕事をしていこうと思っています。

 

仕事のベースは、speed simple sharp

価値を意識して、それをわかりやすく見える化して
しっかりとモニタリングしていく。

 

また全体の業務をマネジメントするために、
係全体の仕事を把握する。
そのためには普段からメンバーが担当する事業の起案内容を理解し、サマる力が必要。

 

役所ならではのよくわからず、納得できないことでも
一定の落としどころというか、妥結案を持っていく力を身につけていきたい。

あまり難しく考えずに、自分や周囲が楽しく仕事できる一年を過ごしていこう。

 

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公務員の異動の不思議

久し振りのブログ更新になります。

突発な業務が入り、定時上がりの日々から一転して、超過勤務が200時間を超える毎日でした。

何でも極端は良くないですね。。。

 

今年もいつの間にかあと2ヶ月。

役所はこの時期に各課ごとに上長との面談があり、現在の仕事や今後のキャリアなどについて話す機会があります。

まあ一人10分程度なので、正直ただ運用しているっていうものだし、今後の人事の希望を書いたところでほとんど考慮されないのでトホホな感じです。

 

人事の納得感を各人が持つことは非常に大変なことであります。ただそれでも何かしらの評価をしないといけないので評価指標やその場を設けることは大切です。

 

ただ、冒頭にもある通り、役所のこういった面談の機会は「とりあえずやっている」という感じで正直あんまり機能していないように思います。言ってもムダ、やってもムダという無力感がベースにあると、どんどん形式化してしまい、ますますとりあえずやっている感だけが残り、誰も得しない状態になってしまいます。

 

当然、組織として全員の希望通りに配置はできないものの、ミッションとしては達成困難な場合もあって、その中で結果を出してください、その覚悟があるのなら希望を聞きます。っていう配置があっていいように感じます。

 

結局は一人ひとりのWILLが大切。

各人の当事者意識を尊重できる人事の運用を常に模索しないといけないですね。

 

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プロとそれ以外の違い

仕事でミスがあった。こっちがミスしたのかのかがハッキリわからないのだけど、確認不足というミスでもある。

 

最後のちょっとした手間であっても確認しきれていたか?最後まで気を抜かずにやっていたか?
そこへのこだわりが弱くて起こってしまったミスだ。これはプロの仕事とはいえない。

 

もちろん、社会人として価値を発揮して成果を出さないといけない。ただ基本的なことをいつまでもやり続けて、ミスを防ぐ、滞りなく仕事を進めるという安定感が求められる。

ちょっとしたことであってもミスがあると安心して周囲から仕事を任されないし、信頼を得ることはできない。

 

周囲の評価が自分を新しいポジションに導くわけであり、ミスがあってもそれを補う価値を発揮していればいいというのは独りよがりの言い訳になってしまう。

 

どんなにくだらないこと、嫌なことでも抜かりなくやらないといけない。むしろそんなことでミスってしまうのはもったいないのであって、そーゆーものこそ基本的な行動を全うしないといけない。

 

くだらない仕事でも最低限の仕事の質が求められる。くだらない仕事だからテキトーにではプロではない。プロはテキトーな仕事にこそ最小限の時間で終わるように抜かりなくやるものだ。

 

まだまだまだまだ仕事が甘い。
絶対にもうこんな過ちは繰り返さない。

 

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意思決定が遅いことだけが問題ではないなと。

役所の意思決定スピードはやはり遅い。
意思決定システムの問題と、各人の判断力の差や非本質的な指摘があったりするからなんですが。

先日課内での飲み会で「民間よりも意思決定のスピードが遅いよね。。。!?」と先輩方から言われた。
それは自分たちでもそれは重々承知しているんだけど、変えることができないんだよね。。。
だから君の気持もわかるし、こっちの気持ちもいずれ君もわかるよ!というニュアンスがこもった表現でした。

でも、意思決定のスピードが遅いことも間違いないけどそれ以前に、その打ち手でよかったっけ??というものも多い。
それはなぜ発生するかというと課題をどこに設定しているかによると思う。
(以前のブログに書きましたが)

 

つまりほぼ間違っている、もしくはかなり効果の見込みが低い、いけてない打ち手が意思決定されているという点を意識しないといけない。

自分たちが打っている打ち手が本当に効果があると言えるのか?
筋のよい打ち手なのかに対しての善意の不信感がないように感じちゃう。
(全部がそういうわけではもちろんないのですが)

そうなってしまっている要因を整理する週末にしたい。
あとは、前任から引き継いだ仕事ももっと効率的に管理する対応策を考えて、今月中にある程度カタチを作り、真価を発揮する一か月にしようと思う。

 

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公務員のプロジェクトマネジメント

部署により、役所の仕事は大きく異なってきます。
数年後に、別の部署に移るとまた勉強しないといけないことが多く、ちょっと心配。。

 

できれば長くいて、次年度以降は仕事の進め方に慣れた状態で進めて定時には帰って
趣味や勉強に時間を使いたい。。

でも、あんまり長くいすぎるのも嫌だな。。
などと日々感じる今日この頃です。


現在、部横断のあるプロジェクトメンバーにアサインされています。
プロジェクトというほどのものではありませんが、個人的にはそう表現した方が
面白く感じるのでそうしてます。

総勢約10名くらいで、2名ずつくらいでチームを組んで年度末までに
定期的に進めていくものになりますが、最近プロジェクトが思うように進んでいません。


プロジェクトリーダーでも何でもないのですが、遅滞している要因を考えてみます。

大きな要因は3つほどあります。

1 活動方針が曖昧
2 コンテンツを決められない
3 納期管理ができない

 

まず、1に関しては、今回のプロジェクトリーダーがメンバー主体で進めたいという意向で結構放任です。それはそれで俺は全然OKなのですが、自由度が高すぎて動けないというメンバーが多くなっています。また何が決まって、何が決まっていないかが不明瞭なので動きにくいということもあります。

 

最低限、リーダーとして方針を示したり、決めるところは決めて、確動性高く推進する役割が求められますが、正直それができていない。僕よりも20歳くらい上の係長なので正直頑張れよという感じですが、かなりイマイチ。決められないタイプの方という感じ。

僕も自信をもって、ガツガツ決められるタイプではないのでお気持ちはよくわかりますが、それで困るのは部下なので頑張るしかない。なかなか決められない上司の元で働く部下の気持は非常につらいものがあります。

まあ、こういった進め方に慣れていないかもしれないので、うまくサポートできればと思う。


次に、コンテンツ(WHAT)について。
ここも1に紐づくので、1が決まらないとメンバーレベルで決めるのはとっても大変。
特に自由度が高いものへの反応は公務員は弱いように思う。正解がない状態で進めるのはとてもストレスなのだと感じてしまう。


最後に、3の納期管理について。
これも2が決まらないと誰に何をいつまでにお願いするかが不明瞭。
納期を決めて、仕事を分けて、割り振っていく。
全体がどんどんズルズルいってしまいます。


日々、それぞれの業務で忙しいんでしょうけど、当事者意識が低い人が多いし、
仕事を楽しもうという人が少なくて残念。

自分にも他人にも厳しく、楽しく仕事を進めていこうと思います。

 

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役所の不思議、人事の不思議

役所の人事というのは奇妙なものである。
そんな奇妙なものに皆3月中旬頃にそわそわする。数年のサイクルのため今年は自分の番ではないと思いつつもやっぱりそわそわするものである。

役所に限らず、大方の企業もそうかもしれないが、???と思わざるを得ない謎の人事が少なくない。そして大体本人の志向を無視するカタチになる。

 

役所の人事は基本的には強みを生かすというよりも弱みを改善するというイメージ。

仕事を通じて苦手を克服する。

そーして満遍なく同じような人が増えてしまう。

より強みにフォーカスしようという、今の人事の流れには沿ってはいない。

 

長い目で見ての成長機会なのかも知れないけど、もう少しシンプルに個人の志向に向き合うべきではないかと思う。いくら終身雇用とはいえ、個人が組織に期待できる時間や耐えられる線は短く、そして低くなっている。

より適材適所の配置を。
そのために個人の志向とより向き合った人事を期待したいものです。

 

まあ人事は大変だとは思うけど、なんかズルいよね。
本人が頑張って結果出したら「見る目があった」。結果出なかったら「本人の頑張りが足りない」。って言えるしねー。

 

人事の仕事もより科学的にやってほしいもの。
その行くつく先はAIになるのかね?
まあでももしかしたらその方が納得できるのかも。

 

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生産性から程遠い世界

今の部署はとても残業が多い部署で、昨年度は全体でもかなり上位(下位?)にランクインする残業時間でした。

部署の自分たちも忙しいと感じていて、周囲もとても忙しい部署だと認識されている。
人間はどんな環境でも次第に順応していくわけで、何となく体が慣れていく。
また忙しい部署にいると残業で働くことが常態化して、生産性改善の兆しをつかもうとしなくなってしまい、現状はより硬直化していき、何も変わらない。

 

もちろん一人ひとりが扱う事業や業務範囲は広い。
でもそれを言い訳にして、生産性改善への兆しをとらえることができなかったら知的生産を担う社会人として存在意義がないようにも思う。

 

本当に価値を提供するために、僕らは何に特化してやらないといけないのか?
ポジティブに仕事を増やしながら、シンプルに仕事を見極める、差配するなどの改善が重要。


まあ色々といいましたが、残業が多いのは格好悪い!
時間外手当をもらってハッピーとか言っているのはとてもダサい。
自分の時給を下げるような行為であり、知的労働者の所業ではない。

もっとも公務員は、普通に残業代が付くので、やればやるほど稼げます。


現状をポジティブに変えて、誰よりも楽しく働いている存在でありたい。
そもそも仕事の報酬は仕事だと思うし、誰よりも多くの仕事を涼しく片付けて、定時で帰って、ビールを飲んでハッピーに翌日を迎えたいものです。

 

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言葉の力

民間から公務員に転身して数年。

仕事に慣れてきた部分もあるけど、角が少しずつ丸くなっているような気がして
何だか何とも言えない不安や恐怖を感じる今日この頃。

慣れてきたので、少しずつ自分のやりたいようにやらせてもらいます!
って感じで頑張ります!

 

来週からは1週間のうち1日は自由に今の業務と離れて、新しいことを考えたり
外に出て、人と会って刺激をもらう日を作ろうと思います。
googleのルールではありませんが、こういったことは意識的に時間をとらないと
どうしても日常というものに流されてしまいますしね~。

 

前職一年目のときの最初のマネージャーに言われて、今でも覚えていて、
印象に残っている言葉を胸に刻んで頑張ります!!

「着眼大局 着手小局」

「日本で二番目に高い山なんて誰も知らない。一番上を目指せ」

言葉ってすごい力を持っていますね。


10年くらい経っても自分自身の芯から離れません。

尊敬する上司に、成長した姿を見せられるように日々一歩一歩、一ミリでも
前進できるように頑張ります!!

 

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前を向く仕事よりも後ろを向く仕事が多い

最近、仕事をしていて、感じる。
前を向く仕事よりも後ろを向く仕事をしている。

非常にイライラする。

 

役所はよく前例踏襲と揶揄されるけど、そこには功罪が幾つかあります。決してネガティヴなことばかりではありません。

 

▪️良いこと
毎回の判断がブレることが少なく、安定性を維持できる。

 

▪️悪いこと
前例をある意味コピペして仕事するので考えなくなる、前回のものが完璧で、再考の余地はないと考えなくなる。

ザックリと言うとこんな感じ。

 

一番の問題は、日々考えることが少なくなること、前例の枠組みの中でしか考えられなくなること。

ここをちゃんと意識して仕事してる人とそーでない人の差は40歳位から現れるように思う。気をつけなきゃ。

 

日々、本当に面倒臭いことが多いのでどーしても仕事が志を失い、作業になり、無目的、無意識でただ、こなしてしまうこともあります。

 

閑話休題

 

本題ですが、前任たちが残した宿題が多く、その対応で嫌気がします。
公務員は2.3年のサイクルで異動するのでその気になれば宿題をやらずに言い訳作って、かわして後任に引き継ぐこともできます。そこは正直マネジメントの強度と個人のスタンス次第の世界です。気付く上司は求めるし、やれる本人は当事者意識を持ってやりきります。

 

僕はやりきりたいと思っています。


ただ、何故気付いてやりきろうという人がそこに時間やパワーをかけないといけないのかも非常に虚しさも感じます。結果的にやらなかった人たちは僕のような思いでやらなかったかもしれないので、僕もやらなかったら結局僕の後任に虚しさを引き継ぐだけになるので、、、やろうとは思いますが。

 

しかし、バカ正直に愚直にやってもどーせ周りはわからないので現状をオープンにして、納期を決めて、チームで意識を持ってやろうと思います。

いい意味で周りを巻き込んで、とっとと終わらせたいと思います。

 

宿題は一人ではやりきれないし、夏休み最終日だけでは終わりきらない。


自分が頑張れる環境を作っていこう!

モチベーションと仕事

 

 

ふと、最近の仕事での自分を振り返りながら読んでみる。


そういえば最近自分自身で「モチベーション」という言葉を使わなくなったような気がする。

社会人3年目くらいまでは、何かと「モチベーション」という言葉を使っていて、
大体やる気がない等ネガティブな状態で使うことが多かったように思う。

 

もちろん、日々の中で気持ちが乗っているとき、その逆のときの連続である。
でも「モチベーション」という言葉を使わなくなったし、そこに逃げなくなくなったように思う。
大体何かに悩んでいて、その原因をモチベーションに求めがちだけど、モチベーションが低いのは原因ではなく、現状の結果からもたらされていることばかりのはず。


モチベーションさえ高ければ、現状を打破できるのかって話です。
踏ん詰まっている現状が解決すればモチベーションなんてどうせ上がるでしょ?と。


色々な要素はあると思うけど、心技体のバランスが常によく、バリバリ仕事をすることなんてできないし、どんな人でも日々「揺れ動きながら」仕事に向き合っているんだと思う。


調子悪いときはその中でどう立ち回れるかだし、調子いい時はとことんやればいいってだけ。

仕事できる人には当たり前の話なんだろうけど、そういったメンタルを持てるようになったのは
多少経験を積めたからなのかなと思い、少し嬉しくなる。


一気に現状を変えることはできない。
だからモチベーションが低いときでも立ち止まらずに一つ一つ現時点の自分ができることに集中すればいい。全然進まなくてもOK。そういう自分に自己嫌悪せずに、受け止めて愚直にやるだけ。自分で埒が明かないのであれば先輩や上司に助けてもらえばよいだけ。

 

改めて過去を振り返るとそんな感じで前進できた気がする。

 

 

【志事】歳を重ねるほどに、素直でありたい

今週から、諸事情でバタバタと過ごしておりました。暇よりはいいですね。

 

先日は、大学の友人の結婚式に参加。
会場は表参道テラス。

学生時代に、ゼミが一緒になり、どうゆうわけか気が合って今日に至る関係性。
酔っぱらって自分のカバンに吐いていた人間が、一丁前に親に感謝を伝えるまでに成長してました。なんか嬉しかったです。

 

結婚式は、招待した人を楽しめる場であり、結婚した二人はある意味で付録のような存在の気がします。

唯一、あの場を使って、我儘言える瞬間は親への感謝の言葉を伝える時間だけかなと思います。
招待客にとっては、ある意味どうでもいい時間かとは思いますが、ある種強制的にそういう場の中で
招待客の皆さんに証人となってもらい、「親への感謝」を述べる。

 

やっぱり恥ずかしいです。あの環境だからこそ言えるし、それを伝える場としてやはり結婚式は価値があるのだなぁと改めて感じました。


歳を重ねると、人はどんどん素直でなくなってしまいます。
それが横柄な態度につながったり、人に悪いイメージを与えてしまうことすら気が付かなくなってしまいます。周囲だけでなく、自分自身に素直であり続けないといけない。素直に生きるのは、ありのままに自分勝手に過ごすことではない。

 

素直に自分の思いを伝える。素直に相手の話を聞く。そういった当たり前のことができるのが、本来の大人なのかなと思います。

 

謙虚にして驕らず。
素直で素敵な大人になりたいものです。

 

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民間と行政の大きな違い②

前回の続き。

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民間企業から官公庁に転身して、もうすぐ一か月。
少しずつ前職(民間企業)との違いを感じることがあるのでブログに書いてみる。

大きく感じる点は2点。
【1】課題の「設定」という観点が弱いこと。
【2】戦略性
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今日は【2】戦略性について。

官・行政のいいところでもあり、イマイチなところだとやや感じる点は、
課題解決に向けて、課題のタネになりそうなところに漏れなく打ち手を打っている点である。

全てやることは素晴らしいが、打ち手の中でも課題解決によりクリティカルに寄与する
打ち手の優先順位がある。それをちゃんと分析しないと下記のようなことになる。

 

・手を打つ順番を間違える
・手がけるパワーバランスを間違える

 

本来もっとマンパワーなどかけていればより解決したかもしれないのに
全てを均等にやるから効き目が弱くなる。

 

上記を解決するためにも、改めて【1】問題設定と解決に向けたシナリオが必要になる。

事実をしっかりと把握して、課題の真因を探る。
そして期限までにどんなシナリオでどのような打ち手で課題を解決するか?
課題解決のために何を定量で追いかけるか?

 

シンプルに!
スピーディに!!
戦略的に!!!

 

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民間と行政の大きな違い①

民間企業から官公庁に転身して、早数年。

改めて、入庁後に感じたこと、

違和感を覚えることをブログで記しておきたい。

 

大きく感じる点は2点。
【1】課題の「設定」という観点が弱いこと。
【2】戦略性

 

まず【1】について書いてみる。
【2】は次回に回す。

 

古くて新しいビジネスマンの中の話題として、
課題解決は大きなテーマとして存在しています。
ただ筋のよい課題解決は、筋の良い課題設定から生まれると思います。


どこに課題があり、なぜそれが生じており、どうすればそれを改善できるのか?
普通は、Where(問題の所在)→Why(問題の原因)→How(問題の改善策)で
課題をとらえると思いますが、行政は問題設定が弱いと感じます。

 

そもそも何が課題で、どういった価値を提供することで解決するか?
またそれをどのような指標(具体的な数字)で追いかけ、追い切るか?

 

課題の設定が曖昧でヌルッとしているので、兆し・課題を振り返る際に困る。
そうすると定性情報が中心になり、「以前より改善した」「筋道ができた」というような
イマイチな振り返り結果が出てしまう。

正しい課題解決は、そもそも正しい課題設定にあり。
まだ達成度は具体的に数値にて目標と達成指標を置いてモニタリングしないといけない。

 

何かと、数字で目標設定しにくいという言われることもあるし、確かに成果を明確に数字に落とせない社会課題はある。
ただ、それに対して仕事をして、成果を出す以上は、上記の設定が頭の使いどころであり、面白味である。

 

達成度合いを測ることで、仕事は厳しくなる。
でもだからこそ楽しくもある。

 

激しく、楽しくいい志事を、行政マンとしてやり続けていきたい。

 

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【ビジネスマンとして権利と義務と責任がある。

愚痴りたくなることや、文句を言いたいことは多々あります。

もちろん、吐き出すことですっきりすることもあるので一応の効用はあるように思います。

 

ただ、社会人10年以上の経験者がいつまでも愚痴る、文句を言うだけでは格好悪いと思うけど、それでもそういう残念な人がいる。

 

前の職場で、上司に教えてもらった言葉がある。

ビジネスマンとして、人として成長する権利がある。一方、全員傍観者ではなく当事者として、職場を良いものにしていく義務がある。起こることを自ら変えられるものとして捉える。入社して良かったという職場にする責任も、将来入ってくる後輩に良い職場と思ってもらう責任もみんなにある。みんなが感じた、感じるであろう自分に合った職場に逢えてよかったという想いを一人でも多くの人に感じてもらいたい。

 

そう、みなビジネスを通じて、成長するために仕事にチャレンジし、一方で納得できないことは文句を言ったり、愚痴ったりする権利はある。

 

ただ一方で自らがその不満を解消するために当事者意識を持って、現状を改善するために努力し、今いる職場を少しでも良い環境にする義務がある。

 

文句しか言わない、愚痴しか言わないやつはビジネスには不要なのだと思う。

社会人2~3年目くらいの若手がいうのなら、まだ理解はできる。

 

いつまでも視点の低い奴は低いし、何を言ってもわからない。
そういう奴はもうしょうがいない。
初めて部下をもったときに、自分の視点の低さを知るのであり、そのとき仕える部下が可哀想である。。

 

ビジネスに評論家はいらない。
文句を言うなら、現状を変えるために行動しろ。
それができない奴はいらない。

 

あ~でもなんでこんな当たり前のスタンスを備えていない公務員がいるんだろう。。
残念。

 

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【読書メモ】モチベーションの根っこというお話

今日はモチベーションの根っこ、源泉についてのお話。

 

仕事をするにも、趣味を楽しむにも、何でもいわゆるモチベーションってやつが下敷きにある。

社会人10年を超えると、もはやモチベーションが上がらない、出てこないというようなことはない。自律的に動ける人は、ある意味モチベーションなんて関係ないのかもしれない。自分は全然そんな境地には行けてはいませんが。

 

ふと、読んだ本の中にあった一説。

「嫉妬心や怒り、悔しいという気持ちをモチベーションにして動く人も多いと思いますが、ぼくはそういう負の感情はなるべく長時間、抱かないようにしています。なぜなら、そういうマイナスの感情を使って立てる目標は、どうしても小さいものになってしまうからです。」

 

ここでいう「嫉妬心や怒り、悔しいという気持ちをモチベーションにして動く人」は僕のことです。完全に。特に怒り。

今までずっと怒りをエネルギーに変えて、ここまでやってきました。

 

どうやら間違っていたようです。間違っていたと言い切ると自分が切なくなるし、場合によっては功を奏したことも少なくありません。

でも、さらにこう続きます。


「負のエネルギーは力を持つのですが、長期的に見るとそれでできることなんて、案外小さいのです。「余の中を良くしたい」「人を楽しませたい」といった正のエネルギーのほうが、大きなことを実現できる。」

 

うーん。確かにわかります。
ライバル視をしてる人たちとのちょっとしたことに一喜一憂し、何となく溜飲を下げるという流れ。

時に、怒りや悔しさは爆発的な力を生みます。でもそれだけでは何より自分がハッピーになれないような気がしてます。

 

もっとシンプルに、世の中の役に立てる仕事をしたい。目の前の人の役に立ちたい。
そういった思いで紡ぐ仕事のほうが長続きするし、心からやりたいって思えるのだと思うような気がする。

 

ももちろん、怒りや悔しさをエネルギーに変えるのも大事。でもそれはある種のドーピングみたいなものなのかもしれない。

 

それだけに頼って、ここまで来ちゃいました。自分の中で今ひとつ自分の仕事に自信が持てないのはここに鍵があるように思う。

 

素敵な気付きをくれた本は、
佐渡島庸平さんの「ぼくらの仮説が世界をつくる」でした。

 

 

ぼくらの仮説が世界をつくる

ぼくらの仮説が世界をつくる